あっきぃ日誌

鉄道ブログのような技術系ブログのようななにか

OSASKのアレ

オサスクドット ジャパン: おさゲなニュースと雑談サイト - 方針転換の予定(1)
川合さん曰く

現在OSASKのリリースについて大幅な方針転換を予定しています。(中略)もし特に何もなければ、OSASKの一般公開を永久にやめます。

とのことです。
今では何も協力できていない一人として、「OSASKの一般公開をやめないで!」なんてとてもいえる立場にないと感じています。ただ、とても寂しいです。
朝イチで見つけて、仕事中何度も記事をチラチラ見て(ブクマコメとかも見つつ)、自分が感想をここになんて書こうか迷っているのですが、どうもまとまりません。
オサスクドット ジャパン: おさゲなニュースと雑談サイト - 方針転換の予定(2)

僕たちはユーザを甘やかしすぎたのかもしれません。本来は何事においてもgive&takeが基本です。生まれたときから何でも好きなだけ与えられるのが当たり前だと思っている人たち。もらうだけでいいと思っている人たち。いや、もらってやっているんだ・むしろ感謝しろ、とまで思っている人たち。・・・彼らに、それは違うんだよという人はいなくていいのでしょうか。

検索すればどんな情報でもたちどころに手に入りますが、それを当たり前だと思っていないでしょうか。それはたくさんの人の善意で成立しているのですが、それに思いをはせたことはあるでしょうか。みんなが受け取るだけになってしまったら、全ての情報は古くなり、有益な情報はなくなり、未来はありません。

川合さんの言うことはその通りだと思います。本当にヨノナカにはモンスター(ペアレント|チャイルド|カスタマー)やら、「disる」なんて中途半端に格好をつけた名前で批判するような人が増えていますね。僕自身、mixiアプリの各アプリの意見要望スレに寄せられる罵倒雑言にドン引きしたり、こないだはカニチェーハンの店でモンスターカスタマーに遭遇して、美味しいはずのカニチャーハンの味を楽しめずに帰ってきました(アレは酷かった)。
ただし、川合さん1人が行動を起こして、どれだけの人々が気づいてくれるかと思うと、難しいような気もします。(そこはあれなのかな、try&errorになるのかな……。)
やはりどうもまとまらないな……。
僕のこの手の問題に対してのスタンスは、「十人十色だからどんな意見があろうと当たり前。意見が遭わなかったり、批判されたりしても気にせず、本当にわかってくれる人が1人でもいればそれで良い。」といったところでしょうか。そもそもニッチなところ(自作OS/鉄道MADなどなど)で活動しているわけだから。

OSASKの一般公開を永久にやめます。」はどう解釈したら良いのか

さて、この一文が気になっているのですが、既存のOSASK(〜4.8)も公開を止められるのでしょうか。
それとも、今後の新作が対象になるのでしょうか。
既存のものだけはどうかキープしていて欲しいです。